僕には、誇るべきものが何もない。
だけれど、「誠実」であることだけは、自分に対して厳しく臨んでいる。
それは、頭も弱く、弁も立たず、社交ができず、気が弱い自分が、何とか世を渡っていくため、武装できるただ一つの道具。それが誠実さだったからだ。
何も、高潔であるためではない。優れた人徳を磨くためでもない。
もっと下賤で消極的な要求のためだ。
何一つとりえのない自分が、何とかこの世の中を渡っていくために、自分にできることを探した結果、ただこれだけが、自分に残ったからである。
誠実であるということは、簡単なことだ。
物事に対し、人に対し、真剣に当たり、嘘をつかず、愚痴を言わず、悪感情を出さず、目の前の自分のできることをおこなう。これだけのことだ。でもこれがどれだけ難しいことだろう。
誠実さ。
世の中の人間関係の力学は、容赦なく弱い人に襲い掛かる。
人にうまく利用されたり、使い捨ての道具のように扱われたり。
社会とはそういうものだ。動物の世界と変わらない。
肉体的にも精神的にも、強いものは強く、弱いものは弱い。
そういうところはいかにも本能的で動物らしい。
僕は、嘘をついて辻褄が合うように取り繕うことができるほど頭がよくない。
また、口が達者でないので主張もできない。人から頼まれると断れない。
何より社交が苦手で、人と会話することがうまくできなかった。
こういう性質だから、よく人から馬鹿にされた。
無下に扱われ、格下に見られ、造作もなく追いやられる。
悔しいけど、対応する術もなく、ただ家に帰って、泣いたり日記を書いたりタバコをすうだけだった。
狡猾になろうとしても、頭の回転が悪いのでできない。
出し抜いてやろうとしても、もっと頭がいい人がたくさんいる。
僕には何もないと悟ったとき、諦めようと思った。
もうどうだってよい。自分にできることを、極限までやろう。
そうしたとき、自分に対する評価として、低姿勢とか誠実とか、そういうことを言われてきたことを思い出した。
だから、これを徹底しようと思った。
損得をすべて忘れ、格上格下の別を忘れ、儲けるとかを考えず、めんどくさいとかを考えず、まじめに取り組む。その中で知恵をだす。人からどう思われようと、ダメだと思われようと、自分にはこれしかないのだから、これをする以外に方法はないのだ。
人間は、なりたいと思ってなるのではない。
なるようになるしかない。
理想と現実があまりに離れていると、とてもつらい。
現実とは、自分に対して、他人がどう思っているか、ということだ。
理想とは、なりたい自分だ。
どれだけ自分が追及する理想があって、それに向かって努力していても、
それと、他人が自分に見る像は、同じでないかもしれない。
場合によっては真逆かもしれない。
どれだけ自信があるように見せても、不安そうなら見透かされる。
取り繕った自分は、他人から見たら裸の王様のようなものだ。
他者の見つめる自分の像が、実は一番正解なのだ。
そして、それは、自分を究める一番のヒントだ。
なれないものになろうとする努力ではなく、
今ある自分の延長線上を究めることが、
自分が成長していくために、一番大切で、無理のないことだとおもう。
そうじゃないと、うつになったり病気になったりしちゃうからね。
やれることをやる。それが一番大事だと思う。