内気で人見知りで話すのが苦手な社会人

不器用で内向きな人間の、日々の悩みや思考です

早く死にたい

今すぐ死にたいわけじゃない。

でもできるなら早く死にたい。生きる力が希薄というか、無いというか。

長生きはしたくない。希望も見えず、不安しかない人生で、何も楽しい未来が想像できない時間を長く過ごすのは辛い。生きることは、めんどくさいことの連続だ。だから、早く死にたい。

死んだつもりで生きている。私はただ存在しているだけで、日々こなす仕事と生活をただなるようになるように、過ごせばいい。ただそれだけだ。

そう思えば楽になる。そうすれば、多少のことも我慢できる。意思などいらない。流されるままに流されるくらいしか、私には能力も気力もない。

理想の人生いうのがどんなものかは分からないが、理想を追い求めないことで、精神の安定を保っている。

人生という一つの旅

私の旅は、一つの区切りを迎えようとしている。

旅。私は自分が嫌いだった。何もできない自分。どろどろして、なんのために存在しているのか分からなくて、存在していて良いのかと自問自答するような自分。そんな自分を変えたくて、私は高校を卒業し実家を飛び出して、関西の大学にひとり暮らしをして、卒業したら東京に就職へ、それぞれ異なる環境に飛び込んで、これまでとは違った新しい自分に脱皮するために希望を持って進んでいった。私は、それらの環境で、苦い味を味わい、楽しい味を嗜み、様々な経験を積んでいった。その目的はただ一つで、私が、私の価値を、私自身が信じることができるだけの人間になるためであった。自信に満ち、明るく賢く機転が利き、人を引き付ける魅力を備えた人となって、信念をもって人生を猪突猛進する人間になるためであった。

私の青春時代は暗澹たる様で、思い出したくもない。その時分を語ろうとすると、私は沈黙してしまう。何を成し遂げるでもなく、何か目標があるでもなく、一日一日を過ごし、実際その積み重ねは中学高校の6年間という、若さの持つエネルギーを発散するには長すぎる時間を、どこに吐き出していいのかわからないまま無駄に過ごした。みじめで情けなく申し訳ない自分。外にでるのも億劫で一番安心する場所が図書館。塾の自習室にも怖くて入れない。そんな生活が、自分の人格を形成した、すなわち劣等感と罪悪感を屋台骨に据えて、触ればすぐに崩れ落ちてしまうような立て付けの良くない家が出来上がってしまった。青春時代の最後のほうではせめて受験はということで勉強して何とかいい大学に入った。でもそれは、建付けの良くない建物がひとつ出来上がったというだけだ。それから何をその建物に入れていくかである。それを私は大学生活に賭けたのである。

 

私が大学にはいってから、それから社会人になってから、個々の体験、経験をここでは挙げない。すべては一つの気持ち、つまり、高校までの生活で成し遂げられなかったことを、私はここでやり直そう、やり直したら、きっと自分のあこがれる人に近づけるだろう、その一心から私は人生の選択を行ってきた。スポーツができないといけないという気持ちからスポーツをし、しゃべれるようにならなければならないという気持ちから講師のアルバイトをし、勉学に励まなければならないからという気持ちから研究に専念した。私は強くなりたい、極限まで頑張るのが人間だ、という気持ちから、徹夜で勉強した。

それらは、たまにうまくいき、たまに失敗し、それでも一生懸命に頑張った。頑張って、人格を形成し、たゆまぬ努力と根性を身に付ける。一心不乱の人生を送る。その先に幸せな人生が待ち受けている。青春時代を犠牲にした幸せというものを、自分の努力でつかみ取るのだ。

私が、自分の人生を、落ち着いて振り返り、また先を見据えることがゆっくりできたのは、それから数年の歳月を経てからだった。優しい環境で、私は自分の人生についてゆっくりと振り返った。自分の人生の先をどう描くかは、持っている自分の才能と努力と根性によるものだとしても、一人の人生を全体としてみるのであれば、あくまでそれは過去の延長線上にしかなりえない。ある時点で完全に方向が転換するなんてことは無い。そして、私がこれまで人から見られてきた自分、認められなかった自分、認めたくない自分、なりたい自分との乖離、すべての影響を遮断して自分とは何者か、本当は何をしたいのか、何をしているときが幸せなのか、何をするべきなのか、また、家族との関係、生まれてきた理由。そういったものを、名誉とか、功名心とか、地位とか、人からどう見られるか、とか、そういったものをすべて排除して、自分と向き合ったとき、本当に私が、このまま東京にいていいのだろうか。東京にいて、自分は幸せになれるのだろうか。楽しく人生を過ごせるのだろうか。そんなことを考えることができた。

 思い出しても情けないが、私は魅力的で、人を寄せ付ける雰囲気を持つでもない。人の上に立つ人間でもない。それは昔から変わっていないし今でもきっとそうだ。人の上に立つことを楽しむ人柄でもない。

私が、静かな環境で考えたとき、そしていろいろな本を読んだり、映画を見たり、何をしている時が自分が一番たのしいのか、一番落ち着くのか。人付き合いをしている時が楽しいのか、静かに一人で本を読んだりしている時のほうが楽しいのか。一度自分を裸になって、一切のこれまでの努力とか犠牲とか、そういったものを省みることをやめて、自分の前も後ろも見ず、己の今だけを見つめたときに、一つの答えとして、故郷に戻るのが一番いい選択肢なのかもしれないと思ったのだ。

もちろん、全く後悔がないわけがない。本当にこの決断でよいのか、ということは常々考えた。私は、世の中を、自分が生まれた時よりも、自分が死んだ時に、より良いものにしたいという夢をもって職場を選んだのではないのか。志を共にした仲間たちと一緒に切磋琢磨を誓ったのではなかったか。歴史に名を残すという目標を打ち立てたのではなかったか。挙げればきりのない、かつてこう考えたではないか、昔の浪漫をどこに放り捨てたのか。職場を去るには厚い上着と誇りを脱がないといけない。逆にそれがこれまで私を逡巡させてきたものだったのかもしれない。

しかし、私が一つ、今回の決断を下すことができたのは、私がひとつ、自分をみとめることができたためだと考えている。すなわち、人にはさまざまあって、五体満足意気揚々の人もいれば、身体にハンデを抱える人も、精神にハンデを抱える人もいる。前を向いて、社会のために、他人のために、力を尽くすことができる人もいる。一方で、自分が生きるのに精一杯の人もいる。生きることがなんと楽しいことかと生を充実させる人もいれば、生きることが辛く重く圧し掛かり、生と死の間を行ったり来たりしながら、何とか耐えて生き忍んでいる人もいる。そして、それらの人生は、生まれた時点で選ぶ訳でもなく理由なく与えられた。与えられた人生を全うするのが人間の本分であるとすれば、どのような生き方をするかについて、誰がその人の生き方を否定したり批判することができるだろう。そんなことを考えることが多くなった。そして、その生き方が、一つの流れとしてあり、がむしゃらに突っ走っている時には見えなくなって、辛いとき、苦しいときに、はたと立ち止まって振り返ってみたときに、過去の一連の流れが、自分に本当に合っているかを、他人の人生と見比べることなく、自分自身と見つめあったときに、もし流れに背いているのであれば、または、本心からはみ出しているのではないかと思うのであれば、その流れ、それを運命というのであれば、自分のなすべき人生というものからはみ出してしまっていることを示しているのかもしれない。

自分のなすべき人生。それは誰にも分らない、また自分にも当然わからない。期待されているもの、他人の評価というものは、一つの物差しになり得たとしても、それが絶対であるものでもない。ただ唯一間違いのないことは、その人生が、本当に自分が望んでいるものであるかどうか、自分がこうありたいと、無意識に思っているものであるか、その人生を選んでいる際に、本当に自分がそれを望んで選んでいるのか、そしてその選んだ道をやり抜きとおす、生き通す責任を己が持つ覚悟があるのか、それが自分の判断のただ一つの指標になるということだ。名声や、お金、そういった類いのものは、自分が貫き通したい道を進んでいく過程で得られる付随物であるべきである。付随物を目標にして進んでいく道には、不幸が待っている。なぜなら、それらが得られたところで、自分というものは変わらないし、その過程が不幸であったり辛いものであるならば、それらが得られたら幸せになり楽しいものになるのかと考えたときに、とてもそうとは思えない。なぜなら名声やお金、尊敬、そういったものは、自分に足りない何か精神的なものの代替品として求めているのであって、私がこれまで経験してきたことから、それらを得たところで何らの代替となることがなく、結局自分は自分であるということに気付くだけだからだ。

つまるところ、自分の最良の人生を選ぶにあたって、一番大切なことは、自分を、自分らしさを、認めることに他ならない。自分を認めたうえで、自分にとって何が最良かを考えることが、何より大切である。

自己啓発にある根性論や、成功のためのハウツー本、成功せよ、名誉を獲得せよ、の流れ出る波。こういったものが東京には蠢き、またそうしたものを手に入れた人たちは、それに続けと倣う人達が集まっている。しかし考えなければいけないことは、「本当」に自分はそうしたいのか、自分はそうすることで健やかに過ごせるのか、人生を息切れすることなく生ききれるのかということだ。無理をして、中には死を選ぶ人もいる。東京の通勤電車を見れば、精気にあふれた人と、疲れ切った人と、両極端が存在している。そしてそれは、精神的な貧富の開きの縮図でもある。必ずしも人は、成功を収めなければならないわけではない。それぞれ人々に課せられた人生は、人それぞれだ。私は黒部渓谷鉄道で見た。若い女性が、身内でおそらくは体に障害を負っているであろう男性を、庇いながら、助けながら、観光し道案内し進んでいく光景を。本当に美しかった。成功を求めて日々働く人は勿論素晴らしいし、なくてはならない人たちである。しかし、同じくらいあの光景は素晴らしかったし、何よりも人間らしかった。そして、私はそれを見てわが身を見て、私が犠牲にするべきものではないものを、私は犠牲にしつつあるのではないかと思った。私にとって、本当にすべきことは、私を育くみ、私を大切にし、私を楽しませてくれた家族を、同じように私が大切にし、今度は私が彼らを幸せにする番なのではないかと思ったのだ。 

 私は国のためを思って、国のためになることを願って、その指針を我が仕事と我が人生の一本の針路として、私が遭難しそうなときは導くべき目標として、また私が苦難に打ちひしがれているときはしがみ付く手綱として、私は生きてきた。苦難は超えるために、涙は乾かすためにあるものと思って歩んできた。その過程で、たとえ自分がみじめになっても、自分が自分の価値をやつしても、それは些末なことであると思って生きた来た。しかし、そうしたところで何も世界は変わらない。世界は自分が映す鏡であり、世界は私にとっての世界であって、世界は変わらない。変わるのは自分の心であった。

私自身の心のよりどころなど、朽ちて折れてしまうほど弱い。私は宗教に自分の身を寄せる場所を探そうとしたこともあった。しかし、宗教も頼ることはできなかった。そこまでの覚悟がなかったからだ。私は結局私を信じることしかできない。

私のように、逡巡し悶々とする人もいれば、そうすることなく、まさに選ばれた人のように、突き進む人がいる。私が思い煩うことはそうした人にとっては全く取るに足らないことだ。きっと思い悩むことなどないのかもしれない。私が、私の悩みを、悩む必要のないことと思ったとき、私は自分の歩んできた過去を否定することになるかもしれないと思った。私はそうした人になりたいと思ってなり切れなかった。それは、私しか持っていないかもしれない自分の個性、その個性を殺してまで、自分でない何者かになりたいと、心の底からは思えなかったのだ。私が思い悩むことは、私が思い悩むために存在し、また、私と同様に思い悩む人のために私が解決すべき課題であるかもしれないと思ったとき、私は自分を認め、自分を受容し、自分なりの生き方を見つけるべきかもしれないと感じたのである。

自分なりの生き方。それを探して、旅をつづける人もいる。自分探しの旅。それは、旅というものは、何も外に出て、海外を放浪したり、国内をヒッチハイクすることばかりではない。仕事をする日常、休日を過ごす日常、そうした日常の些細な出来事に、探すことはありありと現れてくる。自分の気持ち、現実との向き合い方、その対処、その反応、それらすべては私にとって新しく、私を映し出す鏡である。鏡に映った自分、は、探している自分というものそのものだ。気付かなくても、そこに顕われている。見ようとすれば、現実はまさに自分そのものなのだ。

他人にやさしくすること。他人に何か与えること。他人を大切にすること。他人からなにか受け取ること。それらすべては、結局自分そのもので、それを見つめることは、自分を見つけることに他ならない。それを修行とするならば、寺に籠って座禅をしなくても、日々の自分のあり方そのものが、修行そのものだ。修行は特別な意味を持たずして、自分の意識次第で、すべては修行になる。心を磨こうとすれば、それを行動として生活をすることで磨くことができる。人間がこの世に生を享け、この世から出ていくことができないのだから、この世の中で何をするか、それ自体がまさに生そのものなのだ。

私がかつて、自分を奮い立たせた言葉は、人生に期待してはならない、人生があなたに期待している。どのような環境にあっても、その環境ですべてが奪われても、あなたの精神を奪うことはできない。すべてが奪われても、あなたがそこでその現実にどう向き合うかの態度だけは、あなたが選ぶことができる。

人生は模索するためにあるのかもしれない。模索はなくなることはない。自分を見つけたり、自分とは何かを知ることが人生の目的ではなく、そうして知った自分を受け入れ、そのうえでどう生きるかを体現することが人生の目的である。私の生き様すべてが、時計が刻む針の一秒一秒が、それ自体目的である。

何かを運命づけられるということがある。生まれついて政治家になる人もいれば、寺の住職になることを定められている人もいる。家業を継ぐ人もいる。医者になる人。教師になる人。会社員になる人。そうした様々な人生は、その人の人生という海を航る船に乗って進む航路で、悩んだり楽しんだり、幸せを感じたり不幸を感じたり、成長したり立ち止まったりする。カントは、自分の死に際して、es ist gutと言ったという。自分が死ぬとき、自分がこれでよかった、といえる人生を送ることが大切なのかもしれない。

旅は終わることはない。旅はまた、これから始まる。私がもし自分の人生に満足したとき、満足、満ち足りた精神、それこそが幸せだ。そして満ち足りていない気持ちは、前に進む原動力だ。何かを求めて進む人間にだけ障害は現れる。悩みのないことなんてありえない。人間が生きている限り、悩みを失うということは、人生を放棄したことに他ならない。私が生きている今を大切にして生きること。真剣に向き合って立ち向かうこと。それが、悩みに対してできる、終わることのない己の価値の実証なのである。

不安と吊り橋

とにかく行き詰っていた。思考は八方塞がりで鬱血していて、奇声と共に時折飛び散った。そんな状態が続いて偏頭痛が起きていたので、ナロンエースを飲んだところ、思考の巡りが穏やかになり、とても静かな境地になった。非常に久しぶりで嬉しかった。

だけど、とにかく家から出たい気分だった。同じ場所で同じ生活、同じ煩悶の繰り返しは、気が狂いそうになる。生きている心地があまりしない。とにかく日常と違うところに行きたかった。それで電車に乗って川に行った。駅からほど近いところに、人気もあまりない、静かな所である。

静かになって考えてみると、自分の思考の中で不要で余計なものは2つであり、一つは今後の生活に対する不安で、もう一つは自分の生来の気質に対する不満であった。

天竜川は、前夜の雨のせいで増水していた。濁った川の水が奔流となって岩を飲み込むように轟々と押し寄せていた。それを見下ろすように高いところに掛けられた吊り橋があって、それを渡って対岸に行けるようになっている。頑強な鉄製の橋なので安心して渡ると、意外に揺れる。足元は幅1mくらいはあるが薄い鉄板で、左右に金属の手綱が腰位の高さで渡してあるが、まともに下が見える。

歩くと揺れる。もし手綱がなければ、そして仮に強風が吹けば、落ちる。落ちれば濁流に飲み込まれる。そう考えると足が竦んだ。スマホを取り出して写真を撮ろうとする。落としたら間違いなく川に落ちる。もし手が滑ったら、と考えると、手が震える。一度そういう事態を想像すると、足も手も、力を入れないと前に進めなくなる。悪い事態を考えないようすればするほど考えてしまう。ますます足に力が入る。

でも冷静になれば、手綱は結局握っていない。仮になくても問題ない。足場も幅が1mもあるのだから足を滑らせても問題ない。十分に安全である。なのに不安が先行し、恐怖が手足を強張らせる。不安が不安を呼んで、要らない心配に仕向かせる。

はたと、今の状況と、今日の状況が、一致した。自分はこれからの生活に不安を感じて立ち竦んでいる。不安が不安を呼んで身動きが取れないでいる。心配で仕方がない。しかし怖くなっているのはこれからの生活についてではなく、ありもしない想像の不安に対してである。心配は増幅してますます心配になって、前に進むことができない。悪いことばかり考えてしまう。

一旦思考を停止する。分からない未来に対して立ち竦んでいたのでは、いつまでも進めない。前を向いて進むしかないのに、ずっと立ち止まってあれやこれや考えていたのでは、刻一刻と時間は過ぎてしまう。考えたところでそのとおり事が運ぶわけでもない。だから、一旦不安するのをやめて、進むことに集中する。前だけを見て、余計なことは考えない。

橋の中途でそんなことを考えた。それで、余計なことを考えるのをやめた。一歩一歩、歩いた。怖さは怖いと思うと怖くなる。良くないことを考えると、良くないことが本当に起きるような気もしたので、考えないようにした。考えずに前だけ見て歩いた。無事橋は渡れた。手綱も結局掴まなかった。

当たり前のことが分かった。

・・・・

もっと大きな鉄橋がある。そこに行くにははかなり登らなければないけないので登った。帰り道も同じ道なので、下った。下りながら思った。

最近僕は、なぜ自分はこんな性格で、こんな境遇なのだろうと嘆くことが多かった。なぜ周りに比べて生きにくい性質なのだろうと、つらく思うことがあった。だけど思った。うまくいく人はうまくいくように生きている。僕はただうまくいっていない、ただそれだけのことである。今の自分の境遇であっても、「あの時ああしていれば」とか、それまでの努力の過程を無視すれば、なるようになって、ただそこに置かれている。そして置かれたところで自分のやり方でやっている。うまくいった人も、同じように、なるようになってそうなった。ただそれだけのことである。

列車の車窓から、こんなところに何でと思う所に集落がある。木々は鬱蒼と茂っている。だけど、そこに住んでいる人や、そこに生えている木だって、何故そこに生まれたのかと聞かれたら、ただそこに生まれたからだと答えるよりほかにない。

大体のことは、訳もなくそうなって、そこで生きている。自分の性格だって、遺伝と環境は自分の意図とは関係なく与えられて、それで今に至っている。自分の人生にしても、なるようになってそうなったのであって、確かな訳というものはない。そう考えると、自分の位置というものは、自分で作り出したというより、訳もなくそこに置かれたと考える方が自然だ。大きな自然というもののなかで、たまたまそこに置かれて、その役割を全うして、生きていく。

自然は理由を考えないから純粋だ。ところが人間は、妬んだり、羨んだり、恨んだりする。だけれど、広い世界や自然の中でみれば、大した理由はないように思われる。訳もなくそこで生かされており、隣の人は隣の人で、向かいの人は向かいの人で、別々に生きている。

もしそこに、自分が自分の性質によって何かの役割があるとして、その役割を受け入れ、その役割を担うことで自然の一部になるのであれば、それはすばらしいことだ。自分というものを受け入れて、自分のやり方で何かして、自分を全うすることができれば、それがいい。自分の存在に対する理由を考えるのをやめて、自分というものを忘れて生きていくことが、自然であり、真理であるように思われる。

辛い日々

辛くて仕方がない。

気持ちが落ちてどうしようもない時期が時折来る。

そういう時は、大体自信を失っている時だ。もとより自信はないのだが、普段被っている自信の皮が剥がれて、むき出しの落ちこぼれになっている。

社会で生きていくには自己主張できなければいけない。そうでないと、いいように利用されて終わりになってしまう。だけれど自己主張できない。自分に自信がないからだ。

仕事も下手で不器用で、趣味もなく、伴侶もなく、人に負い目のある自分が、何故生きて存在しているのだろうと思ってしまうと、とてつもない沼の底に行ってしまう。自分の存在意義が漠然としてしまう。そんなときは、ふと〇んだら楽になれるのに、何故生きているのだろうと思ってしまう。そこまで思わないにしても、この自分の日常に何の意味があるのか、苦しいだけじゃないか、と思ってしまう。

 

でも生きなければいけない。生きることそれ自身が目的であり目標だと思えば、何とか生きていく。高貴な目標も、高い志も、今はなくても、とにかく死なないように生きることを考えて、日常を乗り切る。

「生かされている」という言葉は、深い意味ではなくて、本当にそのまま「生かされている」ということだ。語弊なく言って、もとから意味なく生まれてきた。意味を作り出すのが生きることとはいえ、それが難しいときだってある。充実した生に向かって生きることが精神的に困難なときだってある。それは究極の生の肯定様式であって、そこに至れていないときだってあったっていいじゃないか。惨めであっても、負い目があっても、「生かされている」のだから、生きるほかよりない。持って与えられたものが粗末であっても、情けない姿を晒していても、それで何とか生きることが、自分に与えられた命であると諦めて、生きていく。

「生かされている」という考え方は、たとえ受動的と言われようと、私にとっては救いになった。そして死ぬときは、それは天命である。

人を利用しようとする人もいるし、出世する人もいる、自信満々な人もいる。

なのになぜ自分のような人間が生きているかと言われれば、哲学的な答えを抜きにしたら、種の多様性である。色々な人が、然るべき遺伝子によって生かされておる。だから、生物的多様性だから仕方がない。個々の劣等感とか不公平は、性質と環境の関係性のなかで生まれる。今の社会は、あまりに生きやすい道路の幅が狭い気がする。

でも、たとえ今の社会で生きていくのがつらくても、そうした遺伝子を与えられ、生を与えられてしまったのだから、それで生きていくしかない。上も下もない。仕事の出世とか、富の裕福とは、別の次元で、自分の生が意味もなく与えられている以上、それで生きていくしかないと割り切って、何とかやっていく。

たとえサイコパスみたいに人を利用してのし上がることが選択肢としてあったとしても、僕はたぶんそれを選択できない。そういう性格だからだ。それが僕の生き方であり、生き様だ。工夫はできる。でも生き方を変えることはできない。自分を変えるというのは、難しい。でも、自分の生き方の延長線上に、一歩前に進む、一つ乗り越える、そういうことで、何とか生きていくしかないんじゃないか、と思った。

自分を変えた

後から自分のブログを読んで、あの時そうやって考えたなどと思い返すことがあるので備忘録として書き散らす記事だから駄文になると初めから白状しておく。

行き詰ったのが九月であるから二か月経った。性懲りもなくいろいろ本を読んで成程と思ったものがあるから、自戒を込めて書いて忘れないようにしたい。

「自分の価値観を捨てる。」

今の生き方が苦しかったり停滞しているならば、自分の価値観を一旦捨てて変えるべきだ。そういうようなことが書いてあった。苦しめているものも辛い気持ちになるのも自分の価値観が原因であるとすれば、固執する必要はない。たとえそれが自分の長い人生の中で培ってきた血と涙の結晶であっても。本当に大切なもの(物の見方、考え方)は、たとえ価値観を変えたところで必ず芯として残っていくはずだから。でも価値観を変えるということは難しい。どう変えればいいか、変えた先が分からないから。だから、まずは捨てることから始めればいい。芯の周りに溜まった垢を取り除くように掃除する。新しい価値観はそれからだ。

「運命という名のどぶ川」

自分の人生がうまくいっていないことを、自分の運命だと考えていたけど、運命なんてどぶ川のようなものだと思えば、なんだ大したことないなと思えた。そんな運命という名のどぶ川に身を任せたってどぶはどぶなんだから。だから運命なんて所詮そんなもので、わが身を預けるに足らず。自分らしく、自分の行動で何かをしていけばいい。身に起こることや境遇を神聖なものと思っていたけど、どぶなんだから、やりたいようにやればいいのだと、気が楽になった。

「人生を転がす」

何にもしなくて時間は過ぎ人生を消費してしまう。球体だとして、そこにあるままで時が過ぎ去っていってしまう。何かを起こしたいのなら、転がさないといけない。転がすとは行動するということだ。僕は考えて考えすぎて何もできなくがんじがらめになってしまうから、考える先に行動するようにした。そうして転がしていけば、きっといい方向に転がっていくと思う。考えすぎると頭がかゆくなってくる。そういうときは考えすぎだと。旅をするにしろ、趣味を見つけるにしろ、しなければならない意味なんて、たぶんどこを探しても見つからない。やりたいからやる、何となくやる。そういう直感を信じる。信じた先の行動が、何かを動かして人生がいい方向に転がっていくはずだ。

自分を変える

自分を変えようと思った。

こんなことは、大体僕は年がら年中思っているけど、結局変わらずじまいで堂々巡りしているわけで、同じところを3歩進んで3歩下がるような生き方をしているから、結局成長することなく、時が止まったように精神年齢の進歩もそこで終わっている。自分は人より10歳ほど遅れて生きていると思う。

その原因を分析するのは簡単だ。いつも息切れをして、元居るところに戻ってしまうからだ。そのほうが楽だからである。それは決意が足りないからだ。アホでもわかる理屈である。

今回は別である。これもいつもと同じだ。いつも今回は違うと言って、アホほど高い志を持って意気込むが、決意は時の経過とともに痩せ細り、なんだか寝込んでしまう。

 

ところが、今回は別である。

 

この2週間、いやほど落ち込んだし、なんだか死んでもいいやくらいに考えて、ただ貯金があるのでそれを使わないのはもったいないと思って、とりあえず息絶え絶え細く生活をした。太宰治の、

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい 縞目 ( しまめ ) が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。(「葉」冒頭) 

 は、そうした生についての名文であると思う。

・・・

今回せめて、いつも3歩戻ってしまう所を、2歩くらいにとどめたい。だから、戻ってしまう場所をなくしたらいいと思った。それで、まず過去のものを全部消した。パソコンのフォルダやお気に入りにあるものを、ほぼすべて消去した。気に入っていたエロ動画や、昔ダウンロードした音楽や、学生の時の卒業論文など懐かしい匂いのするすべてのものを、すべて消し去った。

僕は何度か引っ越しをしているので、そのたびに不要なものは捨ててきたけど、データとか思い出のあるものは捨てづらいので残してきた。それをほぼ全部捨てた。まだ少し手紙とかは残っているから、今週末に燃やそうと思う。年賀状は住所がわからなくなるので今年の分だけ残しておく。本棚も随分整理した。自己啓発に関するものや、落ち込んでいるときに共感できそうなダウナーな本はすべてBOOKOFFに売りさばいた。

・・・

戻るところをなくしてしまえば戻れない。身辺整理をしたところで残ったものは、友達である。そして付き合いのある友達は、ほぼ全員自分に似た人たちで、つまり精神年齢の進歩がストップしたまま勢い大人になってしまったような人たちである。こればかりは切りづらい、し、切ってしまうのもどうかと思う。そもそも人間関係は切るとか繋げるとかいうものではない。何より数少ない友人を失いたくない。でも、変わろうとするときに足を引っ張られてしまうような気もする。悪友が多いから。お前何様だというような言い方だけど、率直に思ったから、ここで書くのは無害であると思って書いていて、そういう思いをしたことがある人は多いと思う。精神世界に関するうさん臭い本(自己啓発系にも多い)には、波長の合う人が必然的に近くに来るので今の人間関係はあなたを鏡で映したものです、波長が高くなれば自然と人間関係も変わります、みたいに書いてあった。一理あるけど、少し絶望的な気持ちにもなる。自分に新たな人間関係ができるものかしらという不安である。

・・・

そういう訳で、難しいことは考えないことにした。自分の範囲内で、すべて改めてしまって、自分を取り巻く世界に関しては、何も触れない。

 

ひとまず欲しいものを買う。

これまで苦しみとは迷いであり、迷いは欲求から起こるものだから、欲を手放せば苦しまないという仙人思考のもと、物欲などを抑えて生きてきた。その結果得たものは、貯金と無趣味と、表情の乏しい顔と、「この人何が楽しくて生きてるんだろう」という周囲の目である。能力にも欠けるので仕事一筋にもなれない。書けば書くほど魅力のない人間に映る。

私、君みたいな男の人知ってる。
仕事で困った時に一生懸命汗かきながら助けてくれたり、
「パソコン買いたいな」って言ったら、
お勧めのパソコンリスト作ってきてくれたりしてくれるんだよね。
だからお礼に冷たいお茶入れたり、
くたびれたスリッパ履いてたからプレゼントしたりした。
でも何故かわからないけど全然違う。私の彼氏と。

彼氏は別にイケメンじゃない。でも一緒にいると幸せな気持ちになるし、
ドキドキするし、エッチな気持ちにもなる。
「可愛い」って言われただけで頭がぼーっとなる。
彼氏の為だけに可愛い洋服や下着を選んで迷って、一日かけてたりする。
それを褒められるとホントに嬉しい。
全然違う。君と。
何が違うんだろう。

誤解させたならごめんなさい。告白させたりしてごめんね。
優しくしたのはお年寄りに優しくするのと一緒なの。
気付いてる?君達ってお年寄りと似てる。

  っていう2chのコピペを思い出した。

・・・

ずっと、無駄遣いするな、自分勝手するな、遊ばず勉強せよ、いい大学に入れば、いい会社に入ればいい人生が送れる、と言われて、また自分に言い聞かせて生きてきた。今を我慢して耐えればきっと良い未来が待っていると、希望をもって生きてきた。約30年生きて分かったことは、別に無理して我慢する必要もないし、多少自分勝手のほうが楽しく生きられるし、大学や会社といい人生は全く別物で、人間の人生は不公平なものだということだ。何の罪もなく死ぬこともあれば、図太く嫌われながらも生き続ける人もいる。タバコ吸って酒を飲んでた中卒の不良が、十年たてば家庭を持って楽しそうに生きている。大学生になるまで酒も飲まず真面目に生きてきた友人が、精神を病んで薬を飲みながら会社勤めをしている。

・・・

難しい話を考えると悩んでしまうので、悩まないように考える。人生は希望では出来ていないので、生きたいように生きた人生が人生である。その途中に、生きたいように生きれない障害物も出てくるから、そこをどう乗り越えるかも人生である。待っていても来ないから、自分で歩み寄るほかない。

できれば楽しいほうがよい。楽しい人は魅力的である。なかなか楽しくなくても、それはそれで寝ればよい。無理な我慢はしないほうがいい。我慢してる間にコロッと逝ってしまうかもしれない。多少刹那的に生きたほうが、楽しい。苦しいことは、苦しい。つらいときもある。でも、楽しくしたいと願って努力することも必要である。楽しいほうが、人生は魅力的である。

絶望

人が変わろうと決意する。その一番の薬は絶望なのだと思った。

活動の色々が不自由で、各方面で行き詰まりを感じ、万策が尽き、夢や希望どころか明日明後日の自分にすら悲観的になり、将来の自分が描けず、今の自分しか見つめることができないとき。外の世界に何一つ期待できず、絶望的な気持ちになってはじめて、何とかすることができるものは外には何一つなく内なる自分しかない、自分を変えるよりほかに方策がないとわかる。書いてみれば当たり前のことなのだけど、今になりようやく身に染みて気付いた。

自分に真摯に向き合っているようで、実は逃げ道を探し、希望的観測に浸っている。どん底にあってもそんなところがあったように思う。

自分の現在を真摯に見つめ、現状の自分で良い未来予想図を描けないのなら、もはや自分を変えるしか方法がない。痛かろうが苦しかろうが。良い将来が描けないのなら、今の苦しみから逃れることには何の意味もないではないか。人生における願いが、より良い人生を送ることなのならば。

そしてその一番の障害になるのが思考であろう。思考は現状維持の生温い環境を好むものだから、自分を変えようと思ったとき、それは思考から発するのではなく、肉体から発するものでなければならない。生物は順応するものだから、きっと思考は後から追いついて慣れてくれるのだと思う。これまでの思考はそこに置いてしまって、重たい身体をエイやと動かして、とにかく身体を変わりたい方向に導いてやって、そうして何とかやっていくしかないのではないか。

最近、もう直に35歳を間近に控える年齢になる。中島敦は33歳で亡くなった。芥川龍之介は35歳で亡くなった。今と昔では死に関しての捉え方が違うから比較することはできないけれど、思うことはある。保守的で内省的に生きたところで何の意味があるのかと感じる。生来の性質は不変だから本質的には変化はないのだろうけど、せめて見てくれだけでも変えていかなければ、泥船に乗って沼の奥底に沈んで行ってしまいそうだ。

メメントモリ:死を意識せよ

看脚下:足元を見よ

この二つの言葉を自分への叱咤としたい。