内気で人見知りで話すのが苦手な社会人

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抗不安剤を飲んだ話④:セルシンの効用について

 以前、抗不安剤を飲んだ話をいくつか書いた。不安が日常的で、押しつぶされてしまいそうで、明るい未来が見えない。耐えきれなくて、心療内科に行ったときに、処方された薬が、抗不安薬の「セルシン」だった。仕事をしていて、本当につらいとき、一粒を、水で流し込む。味は憶えていない。水で簡単に溶けて、胃の中に入っていった。

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 セルシンは効いた。不安が沈む。不安や懸念に対して「鈍感」になる。神経が鈍感になる。常時肩が凝って不安に苛まれていた自分に、新鮮な感動があった。何か、生きていく上での肩の荷がずいぶん下りた気がした。

 

 

緊張や不安は、一生付き合っていかないといけないと思っていた。けど、薬は、たとえ一時的にでも、そうした拘束から救ってくれる。それが分かったことが一番うれしいことだった。自分は上がり症なので、緊張するのが「当たり前」、不安になるのが「当たり前」だった。でも、薬を使えば、「そうではない状態」もあり得る。緊張状態が日常だった自分にとって、ゆるやかな心境、不安から離れた心境は、発見だった。はじめての経験だった。こういう心の持ちようもあるのかと感動した。ある種、幸せを感じた。

 

 抗不安薬は、依存性など世間的な印象はあまり良くない。薬を使わないで済むのならそれにこしたことはない。それは僕もそう思う。でも僕はこの薬に本当に感謝している。なぜなら、不安や緊張に押しつぶされそうになっていた日常と未来に希望を見ることができたから。不安や緊張は、性格や能力の問題ではなく、「脳」の問題だと気付けたから。「不安や緊張のない状態」というものを教えてくれたから。そういう心の状態がどんなものかを教えてくれた、恩人だ。仕事をする上で、薬という避難所があるのは、本当に助かった。楽になった。仕事に行くのが以前ほど苦痛でなくなった。

 

 たった一錠で効果は大きかった。それを、緊張する場面や、不安が大きい場面で、何度か頓服した。すると、それまで怖かったものが怖くなくなる。怖れや不安の概念が一時的に麻痺する。神経が鈍感になる。一度に処方される量は10錠だから、例えば2日に1回まで、とか、上限を決めて薬と付き合うことにしていた。足りなくなると、心療内科に行って、またもらった。そうして数か月を過ごした。

 

 依存性が高いとか、やめられなくなるという情報をネットでみたりしたけど、自分はスパっとやめることになった。一つは、行っていた心療内科に行くことが億劫だったことと、やっぱり頭の片隅に、薬はやめないと、というブレーキがあったからだろう。確かに薬を飲むと不安が軽減されるのだけれど、変な抑え方というか、どこか正常でない感覚を持っていた。不安を減らすというより、上から蓋をする感覚。それに、不安は減っても根本的な解決にはなっていないことを重々認識していた。いつかはしっかりしないと、という気持ちが頭にあったのだろう。薬はあったらすがってしまうことは分かっていたから、もらわないよう、病院に行かないことにした。そうやって無理やりやめた(ほんとうは良くない。離脱症状があるかもしれないので、きちんと医師の診断のもとで判断する必要があるのだと思うが)。

 

 僕は本当にセルシンに感謝している。緊張で固まった身体に柔軟性を与えて、不安の深みから引っ張り上げてくれた。セルシンに救われた。不安で押しつぶされそうになっている人は、無理せず、心療内科に行って相談をするほうがいい。新しい世界を体感できる。「不安のない状態」とは、自分にとっては、盲目の人が初めて世界の光を見たようなものだった。一生不安に悩まされるという不安な状態から、いざとなったら「コレ」がある、ということが分かったのは、本当に気が楽になる出来事だった。真っ暗闇のトンネルに光が差し込んだようだ。新しい世界を見るという意味で、セルシンに救われた。

 でもセルシンに頼ってはいけない。いつかは卒業しなければ、というブレーキをどこかで持つことが大事だ。それと、たぶん初めてそうした薬を飲むと、少し身体に違和感を感じる。麻痺というか鈍感というか朦朧というか、そういう違和感。これを忘れないことが大事だ。過剰な不安は異常だが、服薬中の違和感もやっぱり異常には違わない。抗不安剤を飲みながら、生活に慣れていって、そうして不安の原因を少しづつ取り除いていく。そして、抗不安剤がなくても大丈夫になる。日常を反復にする、自分のリズムを見つけて取り入れる。自分らしさを探しながら、不安や緊張をひっくるめて、自分をコントロールすることができるようになれば、薬に頼らなくても大丈夫になるはずだから(それが難しいから大変なのだけれど)。。